うつし世曼陀羅
〜女人和泉式部〜
その2
私は、悪女には二通りあると思っている。
一つは、胸の内を読むことにたけたタイプ。その時々で、相手の最もよろこぶ言葉、行動を、的確に察知する。いわゆる“賢い女”である。男をチェスか将棋の駒のように、思うように動かしてしまう。これは顕在的悪女性であろう。
もう一つは、天心爛漫、天衣無縫。たくまず男を惑わせるタイプだ。女の柔らかさ、甘さが前面に出る。いわゆる“可愛い女”である。舌打ちしつつも、どうにも憎めないこの女のために、気がついたら、身を粉にして献身していたということになりがちだ。こちらのほうは、潜在的悪女性であろう。
和泉式部は、おどろいたことに、その両方を兼ね備えている。一方に娼婦的したたかさがあり、もう一方に童女の無防備さがある。その二つが、魂の中に、何の矛盾もないかのように共存している。彼女はそういう女であった。
百戦錬磨のプレーボーイにして、和泉式部という妖精の魅力にコロリと参ったというところだろうか。
為尊は、公の場所にも式部を連れまわすようになっていった。加茂の祭りの日、わざわざ一緒の車に乗るようなこれ見よがしのふるまい。生まれて初めて経験する激しく一途な恋に、青年は正気を失っていた。
ところが、恋の終わりは、突然やってきた。為尊親王が急死したのである。
そのころ都では、悪性のはやり病が横行していた。側近は必死になって夜歩きをやめさせようとしたが、式部なしには夜も日もあけぬ為尊は、聞き入れず、とうとう感染してしまった。
はやり病といっても、今でいうインフルエンザというもので、まあ、ちょっと悪性の風邪をひいたのであるが、若さにまかせて、かなり無茶な生活をしていた体にはひとたまりもない。間もなくかえらぬ人となった。
世間では、あの女が殺したのだという噂が立つ。
はかなさにつけてぞなげく夢の世を
みはてぬなりし人によそえて
人の世も人の命もなんというはかないものでしょう。燃え上がった恋も、一期の夢。そのはかなさに、かえらぬあなたを思いながら、私はひとり泣いています。
寝し床に魂なき骸をとめたなら
無げのあわれと人も見よかし
あの人に先立たれた今、逢瀬をかさねた床で私がなきがらになっていたならば、こんな女でも、かわいそうだったと、世間は思ってくれるでしょうか。
それは、あまりにもあっけなく摘み取られた恋であった。
一人のこされ、孤独地獄をさまよう式部の前に、一人の貴公子が登場する。
有名な『和泉式部日記』は、ここからはじまる。
庭の緑を目にしても、ああ、あの人が生きていたころはと、つい思い出して、涙ぐむ。そんなある日のこと、生け垣越しに、若い男の姿を見とめた。
式部は、はっとする。一瞬、亡き恋人為尊親王に見えたからだ。しかし、目をこらしてみると、全然似ていない。何だ、為尊親王の側仕えの少年ではないか。二人の間の文遣いをしてくれていたので、顔をおぼえている。
少年は亡き宮の弟君帥(そち)の宮からだと言って、橘の花を差し出した。
さつきまつ花たちばなの香をかげば
昔の人の袖の香ぞする
『古今和歌集』の中にある歌だ。この歌になぞらえて、「死んだ兄を思い出しますか」と、問いかけてきたのだったのだった。
これを機に、和泉式部と七つ年下の帥の宮敦道親王の間に歌のやりとりがはじまった。
敦道親王は、決して亡き兄の恋人をなぐさめようというような優しい気持ちから、橘を贈ったのではないらしい。おそらく「和泉式部という性悪女の顔が見てみたい」というのが、敦道の本音であろう。だから、おりかえし届いた式部の手紙に、いっそう「尻軽」と思う気持ちを強めたのではないか。私はそう思う
かほる香によそふるよりはほととぎす
きかばやおなじ声やしたると
あの方と同じお声でしょうか。どうかあなたのをお声を聞かせてください。
式部にしてみれば、亡き恋人ゆかりの人がなつかしいばかりであるが、敦道は、それを誘惑と受け取った。
<おのれ、女狐!>
文句の一つも言ってやるつもりで和泉式部を訪ねた敦道は、しかし、彼女を人目見るなりボーッとなってしまった。美しい!それも、まわりにいる無表情の取り澄ました美女達とは全然ちがう、何とも肉感的でセクシーな美女である。その美女が、ゆっくりと、涙にぬれた顔をあげた。その泣き顔は、どきりとするほど色っぽいくせに、どこか幼い。たよりなげな感じすらある。
ともかくも言はばなべてになりぬべし
音になきてこそみせまほしけれ
言葉もなく立ち尽くす敦道にむかって、和泉式部はそう詠んできかせた。声のいいのに美人はいないと、世間ではいうが、この美人は声も美しい。二度驚いた。
どんなになぐさめていただいても、かきみだれた心は、どうにもならないにちがいありますまい。決して、あなたの優しいお言葉が、耳に入らぬというわけではありませんが…。
敦道は、いじらしさに胸がつまった。世間の噂とは似てもにつかぬ女。和泉式部とは、こんなに純な、いじらし女であったのか。
「いや…、あの…、どうも失礼しました」
そそくさと帰りかけた敦道をひきとめたのは、式部のほうであった。
敦道は美しかった。派手で行動的な兄為尊を太陽の光に例えるならば、彼は月光である。線の細い、はかなげな美青年である。性格のほうも、それらしく物静かで内向的であった。<まるでタイプが違うのに、その声、ふとしたしぐさ、何とあの人に似ていることだろう>
そんな思いが、式部の思考を麻痺させた。
やがて月が昇る。
「月が明るすぎます。私は人見知りなたちですから、こうしていると恥ずかしい」
敦道のシャイな人柄がしのばれる台詞である。
『和泉式部日記』によると、式部は、この一夜を、かりそめの情事として葬るつもりでいたらしい。自分で誘惑しておいて「私って、どうしてこうなのだろう」というところなど、いい気なものであるが、ついふらふらとしてしまった人の弱さは、責めるには哀れすぎる。
年上の女らしく、距離を置こうとした式部だが、純情な年下の男の子のほうで、すっかり熱をあげてしまった。
暗いうちに帰った敦道は、さっさく歌をよこす。
恋といへば世つねのとやおもふらん
今朝の心はたぐひだになし
あなたによせる私の心を、世間並みのいいかげんなものとは、決して思わないでください。
敦道は、それから頻繁に式部のもとに通うようになる。外側の社交性とはうらはらの、深い孤独感。誰かによりすがり保護されなければ生きていけない、たよりない童女のような女。知れば知るほど不憫さにかられ、敦道は離れがたい想いをつのらせていく。
まっすぐに求愛する敦道の情熱に、逃げ腰だった式部もいつしか押し流されていく。
和泉式部は、一生を通じて出会った男達のうち、敦道との思い出だけを、こうして後に伝えるべくに書き残している。おそらく式部にとっては、運命の恋であったはずだ。
式部は言う。
「あなたがいなければ、露のようなはかない私の命はどうなる事でしょう」
こんなふうに臆面もなく言える女は、いつの世も、同性の評判がはなはだよろしくない。しかし私には、和泉式部のこういう素直さが、好もしい。「そんなこと!フン、私の値打ちが下がるわよ」的ツッパリのないところが、いっそ潔くさえある。
女が花ならば、可愛らしく甘えることは、さながら花の芳香である。こういうところのカケラもない女は、香りのない花のようなものではないだろうか。
女にとって風通しのよい時代に、どんどんなってきている。そのことは私も嬉しい。甲斐性のある女、大いに結構。はっきり自己主張できる女、大賛成である。
しかし、そこには、やはり花の甘さがほしい。それは、美意識であって、決して迎合ではないと思う。
和泉式部は、敦道が「あなたは、くちなしの花に似ている」と言えば、早速庭中をくちなしだらけにする。
こういうところは、現代にも通じる女心で、好きな人が「白が似合う」と言えば、もう、何が何でも白、白と、うどん粉の中に身投げした状態にもなりかねない。
まあ、言った当人は、そんなこととっくに忘れて、「何だ、また白い服か。好きだねえ」なとど、間のぬけたことを言ったりするのだが…。
敦道を中心に世界が回っている。この恋のさなかの和泉式部は、まさしくそんな感じであった。
敦道親王は、部屋にこもって、笛を奏でたり、漢詩、和歌などにいそしむことが好きな青年であった。いわば、芸術オタクである。性質もそれらしく内向的な暗さがある。幼いころから、体も弱く自閉症ぎみで、華やかな社交家の兄為尊に対しては、コンプレックスをつのらせて大きくなったふしがある。
皇子の中でも変わり者で「みにくいあひるの子」的存在であったことから、母に愛されることも薄かった。
また、正妻は、結婚前からノイローゼであったらしく、奇矯なふるまいが多く、胸も露わな姿で歩き回る。この正妻の他に一人恋人がいたが、女らしい情感のない姫で、いつの間にか疎遠になっていた。
いわば、これまでの女運は悲惨であったのだ。
敦道は、和泉式部と出会うことで、生まれてはじめて、自分を理解し、肯定しようとしてくれる女に出会い、夢中でのめりこんでいく。敦道には、式部の孤独や空虚さをくみとるデリカシーがあった。いとしい女のいたみを自分のものにできる優しさがあった。
年上の女の心情は悲しい。この人が熟していくにしたがって、私はひからびていくのだ。恋に溺れながらも、頭のかたすみに、そんな思いを住まわせている。そういう恋人に対し、敦道は、常に、年上の男のようないつくしみといたわりで接している。彼にとって和泉式部は、あくまでも守ってやりたい存在であった。
二人の恋は、針のむしろの上で進行した。
式部の父雅致は「今度こそ、もう、かんべんならぬ!」と、娘と縁を切ってしまう。
あいかわらず式部に言い寄る男は多い。そのことが、敦道の嫉妬をかきたて、あらぬ誤解を生む。思いつめるのはオタク男の困ったところである。また、陰気な性質のせいで「可愛げのない子」だと、母に愛されること薄かった敦道には、常にどこか女に対する自信のなさがあったのではないか。だからこそ、心中焼けつくほどの焦燥感にさいなまれる。彼はどうしても恋人を独占したかった。
そういったことで、喧嘩することも多くなり、怒った敦道は手紙を書かなったり、へそを曲げてしばらく会いにこなかったりということがしばしばあった。式部のほうでも
石山寺にこもってしまうような、子供っぽい抵抗をしめす。
しかし、はなれていることは、二人の胸に、ますますはなれがたい想いをつのらせる。そんな想いに負けて、二人は、いつの間にか、互いに吸いよせられるように寄り添っている。『和泉式部日記』の中でも、その箇所の描写は、ことのほか細やかで、感銘深い。
生真面目な人間は、思いつめれば、却って大胆になる。もはや片時もはなしたくないと、敦道親王は、住まいである南院に、式部をひきとろうとする。そのことで正妻は出ていくことになり、敦道の周囲は修羅場と化す。
彼にしてみれば、それは「男のけじめ」であった。しかし、世間から見れば、非常識このうえない。
敦道の決心に身をゆだねる式部。そこには、才女の怜悧さも、大人の女の分別もない。恋一途の、ただの女がいるだけであった。
式部が南院へ移る日、敦道は庭先の紅葉に、ふと目をとめる。
言の葉ふかくなりにけるかな
紅葉したあの葉が、秋の深まりを象徴するように、私たちの交わすことばも、深まりましたね式部さん…と下の句を詠んだ。
間髪をいれず、式部が上の句をつける。
白露のはかなくおくと見しほどに
紅葉の露のように、宮さまから、はかない情けをかけていただくだけと思っておりましたのに、思いもかけず、こんなに愛していただいて、私は幸せです。
だが、その幸せも、二人の出会いから五年で終わる。もともと体が弱かった敦道は、激しい恋の焔に焼きつくされるように衰弱し、この世を去った。
捨てはてんと思ふさえこそかなしけれ
君に馴れにしわが身をおもへば
慟哭の絶唱である。あなたに死におくれたこの身、いっそ出家してしまいたいのだけれど、あなたのくちづけ、手のぬくもりの残ったこの体、世を捨ててしまうのも悲しい。
歌集『帥の宮挽歌』百二十余首の中でも、代表的な名歌である。
生きる屍となった式部に、手をさしのべたのは、時の関白、藤原道長であった。
そのころ道長の娘彰子姫が、一条天皇の中宮として入内することが決まった。式部は道長の口利きで、彰子付きの女官となる。
道長が和泉式部の扇に「浮かれ女」と書いたのは、そのころではないかと思う。式部を非難する声があとをたたない時である。しかし、道長は、それとは別に、和泉式部という女の才気を、高く評価していた。
同僚には、またしてもうるさ方の紫式部がいた。道長は当時紫式部の文学上のスポンサー兼愛人であった。『源氏物語』の主人公光源氏は、道長がモデルだともいわれる。
「また、あんたなの」とそっけない紫さんだが、道長は和泉式部の人柄を愛し、女としてではなく、見所のある人物として、友人として大切にするようになった。
中宮彰子や伊勢大輔(たいふ)との歌のやりとり、また清少納言が『枕草子』の中で書いた和泉式部評などを読むと、彼女が身近な人々に愛されていたことがわかる。
出仕の翌年、道長の仲人により、二度めの結婚をする。道長直属の部下ともいうべき藤原保昌である。道長に厚く信頼されていただけあって、堅実な人柄だった。
しかし、真面目の上に何かつきそう…というのか、廊下を曲がる時も、きちっと直角に曲がりそうなタイプである。しかも式部より一回り以上年上である。敦道との灼熱の恋を経験した後の式部にとって、砂を噛むような結婚生活であった。
さるめ見て世にあらじやと思ふらん
あはれを知れる人も問はぬは
最愛の人を亡くしても、私はこの世に生き長らえている。帥の宮さま、どうか、あの世からたずねてきてください。結婚後もまだひたすら、敦道を失った悲嘆に暮れている式部であった。
そんな日々の中で、橘道貞との娘である小式部に先立たれてしまう。お産した直後、肥立ちが悪くてみまかったのであった。
年をへてもの思ふことはならきひきに
花に別れぬ春しなければ
私も年をとって、大切な人との別れにはもう馴れましたが、あなたがこんなにはやく、私をおいて言ってしまうなんて…。歌に漂う沈痛な響き。娘の死によって、はじめて一人の母にたちかえった式部。女の業への自己嫌悪めいた歌を多く残したのは、この頃である。
気がつけば、黒髪に霜が降る年になっていた。
晩年の式部の歌は、何かをとりおとしたように艶っぽさから遠のく。
はじめて胸こがした為尊。最愛の、かけがえのない恋人であった敦道。充分にかわいがってやれなかったあわれな娘小式部。愛する人達の死は、和泉式部に深い無常観の影を落とした。彼女には、もう“生”の歌は歌えなかった。
かへらぬは齢なりけり年のうちに
いかなる花かふたたびは咲く
その時、式部六十。返り咲きの花を詠む歌には、老いの影が色濃い。
恋の歌詠み和泉式部は、沈痛な無常観の詩人として、最期をむかえた。
和泉式部は悪い女であったか。
なるほど、彼女流の“男女交際”は、きれいごとばかりではなかったようだ。
女が心のままに、女として生きようとすれば、世間の規範からは、当然はみだしてしまう。くりかえし男の墓を作りながら、傷つき、無常観を深めていった和泉式部に、私は、なまなましい女の業を見る思いがする。
千年の昔、多くの男にとって、女は道具であったかもしれない。だが同時に、多くの女にとって、男も生きていくうえでの道具であった。
道具には、有用さが一番である。たとえば将来性、たとえば経済力。
しかし、和泉式部にとって、男は利用する対象ではなかった。有能か、利用価値があるか。そんなことはどうでもいい。乱暴に言い切ってしまえば、魅力的か、そうでないかというものだった。
理屈抜きに、相手の発するオーラに引き込まれていく。そんな、素朴ともいうべき恋愛観に、私は和泉式部という女のすがすがしさを見るのである。
例えば蓮。<曼陀羅花>という美しい異名を持ち、多くの極楽絵に描かれた蓮の花。この蓮が、泥に漬かっても、清らかに白い花を咲かせるような…。
「俺のために死んでくれるか」と聞けば、「ええ、いいわ」と頷く女。
「でも、一人で逝くのは怖い。私が息絶えるまで、あなた、手をにぎっていてね」
ほんの一瞬でもいい。かりそめでもいい。そう言ってくれる女との熱い恋の成就。
それは男達の見果てぬ夢であろうか。

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