うつし世曼陀羅
〜女人和泉式部〜
その1
悪女は永遠の男の憧れさ
「Drive Me Crazy」という歌の中のフレーズである。
何かの拍子にこの歌を口ずさむとき、私は、決まって、一人の女を思う。
平安時代、「悪女」と呼ばれた女がいた。女の名は和泉式部。
あらざらむこの世のほかの思い出に
いまひとたびの逢ふこともがな
と、百人一首でおなじみの女流歌人である。
当時は仮名文学の黄金時代である。仮名文学は「女房文学」とも呼ばれた。ひらがなの柔和さは、主に宮仕えの女官に好まれたようである。
和歌の世界でも、女流の活躍がめざましい。右大将道綱の母、赤染衛門、清少納言、紫式部。古典に無縁の人も、
「あ、その人知ってる!」
と言うような名前が並ぶ。
その中でも、和泉式部といえば『拾遺和歌集』をはじめたくさんの勅撰集に載せられた歌が、何と二百四十七首。女流では、質量ともに随一である。
それらは、ありきたりの雪月花を詠んだものから、軽い戯れ歌まで、自在に詠みこなしている。中でも、官能的で艶っぽい歌を得意とした。
黒髪のみだれもしらずうち臥せば
まずかきやりし人ぞ恋しき
平安朝の美女の第一条件は、髪の長さ、豊かさであった。その丈なすみどりの黒髪にうもれて眠ってしまう女。ふと気がつくと、恋人がそっとかきわけて、やさしく寝顔を見守っている。
叙情画にみるような描写。しかしそこには、同時に、滝のように流れ、生き物のように乱れ、指先にからまる、黒髪の、匂いたつようななまめかしさがある。その歌に似つかわしく、彼女自身も、匂うような色香を漂わせていたといわれる。
当時の同僚に、紫式部がいる。彼女は保守的で地味なタイプで、和泉式部の華やかさ、社交性を「軽率」と見ていた。だから歌についての評価も、なかなか手厳しい。
「和泉式部なんて、口先で歌を詠む人よ。きちんとした、教養や理論に欠けてる。まあ、こっちが恥ずかしくなるほどの歌詠みじゃあないわね」
でも…、いや、しかし…と、彼女は思う。
「気の向くまま即興で詠む歌は、なかなか気がきいていること。ところどころに使われた言葉のセンス、やっぱり垢抜けてるわねえ」
不本意ながらも、そう認めざるをえない。
このような和泉式部の才能は、血筋によるところも、大きいかもしれない。父は、高名な学者の大江雅致(まさむね。まさみち、まさとも、ともいわれる)、叔父は『伊勢物語』の作者ともいわれる在原業平。ともに風雅の人平城天皇の孫にあたる。
和泉式部の漢詩の教養、一生を通じて魂の奥底を流れる仏教思想などは、父親ゆずりであろう。しかし、「ふれなばおちむ花」の風情とうたわれた美貌は、謹厳実直な雅致よりも、奔放で色好みの叔父業平に似ていたのではないかという気がしてならない。
この時代の女流文学の大御所たちがほとんどそうであったように、和泉式部もまた後宮づとめの女官であった。
式部の母は、冷和泉帝の皇后昌子の乳母である。その関係で後宮をわが家のようにして育った。幼名を御許丸(おもとまる)。宮仕えを始めてから江(ごう)式部と呼ばれた。はやくから昌子サロンの典雅な雰囲気と高い教養を身につけていたようだ。
当時、上流貴族の間では、天皇のもとに娘をおくり、娘が寵愛されることによって権力を握ろうとする風潮があった。自然にそのまわりには、おこぼれにあずかろうとする若い官吏たちが集まってくる。
彼らは、女官たちを口説くことで情報をあつめ、中央政権に近づこうとした。あのころの貴族たちの恋愛は、多分に政治的な色濃い。
また、そのころは家屋敷など全部娘が相続していた。婿は、そこへ通って生活いっさいの面倒をみてもらうのが、普通だった。
男たちは、よりよい永久就職先を手にいれるためにも、涙ぐましい努力をして、恋の手練手管を磨いた。彼らがせっせとおくった求愛の歌も、品性、教養、センスなどをはかる、一種の履歴書であった。
当時の恋愛および結婚事情は、現代よりもはるかにドライである。そもそも、女の純潔や貞操観念についてやかましくくわれるようになったのは、それからずっと後のこと。儒教道徳がもてはやされた江戸時代からである。王朝の若者に、純潔も貞操もあったものではない。試用期間はあってあたりまえ。未婚の娘の家に複数の男が出入りするというのは、常識であったのだ。
式部とて例外ではない。今ふうにいえば“ミス昌子サロン”で、公達のマドンナであったせいもあり、出入りの数はかなりのものであったらしい。
しかし、多感な少女は、そんな生活の中に、言いようもない無情感をつのらせていく。
歌人和泉式部が、生涯、魂の深いところで感じていた無常観は、江式部のそのころより、すでに育ちつつあった。
くらきよりくらき道にぞいりぬべき
はるかに照らせ山の端の月
仏に救いを求めた歌だといわれるこの一種は、そのころの作品である。
適齢期になった江式部のまえに、一人の男があらわれた。和泉の守橘道貞。二十ほども年上の国の守(今でいう県知事)である。高学歴、高所得、高年齢の三高おじさまは、さっそく娘のような彼女にプロポーズする。
鷹揚なものごし、いぶし銀のような渋味。それら、若い公達にないよさは、心の空虚さから、何かにすがりたいと思っていた式部の目に、ひときわ頼もしげに映った。
この時代の女流文学の才女たちは、概して、同世代の男と普通の恋愛もしくは結婚という形は、好まないようだ。
自我のはっきりした自立型なら、沽券や面子にこだわる男は願い下げだろう。同じ目の高さで話し合える肩肘張らないパートナーを求めるので、頭のやわらかい年下の男に魅かれるケースが多い。清少納言などは、この典型である。
向上心の強い知的欲張り型なら、学ぶところが少ない若い男では、退屈してしまう。博識で人生経験も豊富な大人の男に目がいく。江式部はこちらのタイプだ。
現代にも通じることだが、何か光るものを持った女は、それだけ個性も強く、御しにくい女でもある。苦労人のご隠居さんあたりが、「あんたねえ自分を正直に振り返ってごらん。一山なんぼの男だろうが。やめなときなよ。もてあますから…」なとど言うアドバイスは、正しい。
しかしその難儀な女を、みごと活かしきった場合は…。名馬イコール悍馬。取扱い注意の表示つきということは、燃料でいえばとてつもない火力を持つということでもある。
ごく普通の無難な女のおよびもつかない“あげまん”となりうる。
うまく活かしてやるか、つぶされてしまうか。要は男の器にかかっている。若き江式部は、道貞にその器ありと見たようだ。
この結婚以後、彼女は和泉式部とよばれた。夫婦の間には娘も生まれ、年上の優しい夫との平穏な日々。誰の目にもそう見えた。
しかし、道貞の動機は打算であった。式部は、まもなくそれに気がつく。
当時の国の守という役職は、経済的にこそ豊かではあったが、あくまでも地方公務員である。中央でいい役につかなければ、先行きは、たかがしれたものだった。
利にさとい道貞は、妻の職場である皇后昌子のサロンに目をつけた。思惑どおり道貞は、そのコネで中央の官職にとりたてられる。その代償として、彼は自分の家を舅に提供している。
和泉式部が愚かな女であれば、それなりに幸せだったかもしれない。しかし、すぐれた歌詠みの目は、磨きぬかれた鏡のように、夫の本音をしっかりと写していた。
夫は、いろんな意味で大人である。上質のシルクサテンのように、やわらかいけれども冷たい、大人の男である。
純粋な愛をもとめた“文学少女”にとって、それはゆるしがたいことであった。
夫婦の間に隙間風が吹くころ、和泉式部は、思いがけない恋におちた。冷泉帝の皇子で、当代きってのプレイボーイ弾正の宮為尊親王である。正妻が、不実を嘆いてお経ばかり読んでいたというから、相当忙しい人だったのだろう。
彼は、昌子皇后のところへ時々遊びにくることがあったようだ。そこで、一番の美女にかねてから目をつけていたふしがある。
為尊は、『大鏡』によると、光り輝くような美男であったらしい。また『栄華物語』には、性質軽薄にして好色、女とみれば見境がないと書かれている。東宮(皇太子)の同腹の弟であるのだが、そのころ、中央政権と全く関わりのない位置にいた。暇で退屈していた彼は、せっせとアバンチュールに精を出すくらいしか、楽しみがなかったのかもしれない。
正妻の他に、わかっているだけでも三人の妻がいる。プラスあちこちに通い所を持ち、またもこの期におよんで美しい人妻に好色心を動かし、という、まことにご苦労さまなことであった。
王朝の恋愛がいくらアバウトだったといえ、やんごとなきお方が、おおっぴらに走り回れば、人の口にものぼる。放蕩プリンスと人妻の不倫の恋。写真週刊誌などない時代だが、これは一躍話題になった。
しかし、このプレーボーイ、恋愛のために、ゲーム感覚に近い駆け引きは当然心得ているものの、元来悪気のない性格で、まちがっても野心のために女を利用する男ではなかった。政治から隔離された立場のせいか、はたまた尊い育ちのせいか、あらゆる“欲”というものにきわめて淡白な性質でもある。
「本気にしてはだめ。宮さまは移り気な方だもの」
式部は思う。しかし、為尊は、はっとするほど美しい男で、そこにいると回りの空気が浮き立つような、天性の華があった。性質も、なかなかさわやかに思える。同年代のせいで、話も合う。そのうえ、手段としての恋ではなく、恋のための恋をする男は、彼女にとって初めてだった。
道具ではなく、人として向き合ってくれる。そのことが何よりも嬉しい。
式部は、為尊に振り回されることが楽しかった。為尊には、女を夢中にさせる大きな要素、男の可愛げがある。ああ、この人はモテるだろうなと大いに納得し、私は『栄華物語』の酷評を、大きく割り引かせてもらった。
正直で率直、底抜けに明るく、どこか駄々っ子めいた男。女は、そんな恋人に、我を忘れてのめりこんでいく。
少女のころから見聞きしてきた、恋をささやく男の隠れた本音。くわえて、我が夫も、妻を出世の道具としか思わないような男である。そういう男たちにいいかげんうんざりしていた式部にとって、それは多分、初めての恋愛らし恋愛であったことだろう。
式部の不倫騒ぎで、道貞は去っていった。多くの資料はそう伝えている。
だが、ちょっと待っていただきたい。妻のスキャンダルが耳に届くようになっても、道貞は、そう性急に別れようとはしていない。妻の魅力にまいっていたというよりは、昌子皇后づきの女官である妻に、まだまだ利用価値があったからだ。
その証拠に、昌子皇后の急死直後、和泉式部は、道貞から贈られた家から、あっけなくたたき出されている。夫はさっさと別の女をつれて任地の和泉へ下ってしまった。
かはりゐん塵ばかりだにしのばじな
荒れたる床の枕みるとも
夫の家を出る時、和泉式部が枕に書きつけた歌である。主がいなくなった荒れ床の枕には、やがて塵が積もるようになることでしょうね、その枕を見ても、あなたは、その塵ほどにも、私を懐かしんではくれないでしょうね。
しおらしくいじらしい女心のなげきの歌である。離婚後も、式部から道貞に贈った歌は、いくつか残っている。
道貞の人柄や男としての魅力がしのばれると書かれた文献があった。そう書かれた偉い学者先生は、式部にとって道貞は特別な存在で、忘れえぬ人として生涯想いつづけたのだという解釈をされている。しかし、私は、それはどうかなあ…と思う。
まえに、友人と「別れても好きな人」というカラオケのヒットナンバーについて話しをしたことがあった。その友いわく「おいしいと思って食べたものでも、自分の吐いたものなんか見たくもない」と…。辛辣さに、思わず苦笑したが、言い得て妙である。女にとって、別れた相手というのは、まず、そういうものだと思ってまちがいない。女は男よりも一途で、目の前の恋に全力投球する。だからこそ、むごいほどに潔くなれる。
それは、愛が憎しみに変わるのではない。愛しく思う感情も、ほろにがい感傷も、まるごと、きれいさっぱり消え去るのだ。
潔癖で不器用な女心にとって、特等席は、一人で満員である。真っ白い布のように、その時々の色に染まる。染まっては脱色して、また白にもどっていく。そして、また新しい色にそまる。別れたら次の人。それが女なのだ。
未練を残すのは、いつの世も、愛しきらない者のほうではないだろうか。
道貞の染めた色は、為尊と出会ったころには、脱けてしまっていた。その白い生地は、急速に為尊の色に染まっていく。女心の自然からしても、夫に未練があったとは、とても考えられない。
後年、赤染衛門から復縁をすすめられたのに対し、こんな歌を詠んでいる。
秋風はすごく吹くとも葛の葉の
うらみ顔には見えじとぞ思ふ
彼に捨てられてしまった私だけど、恨みをのこすような間柄にだけはなりたくないわ。このままでいいのよ。悲しげに目を伏せるような歌なのに、はっきり「NO」と言っている。この時、夫は、やもめぐらしで気弱になっており、彼女の態度次第では、すぐにでも復縁できる状態だった。にもかかわらず、人一倍さびしがりやで、そのせいでちょっと誘惑に対する抵抗力の弱い和泉式部が、二度と道貞のもとにもどらなかったのだ。彼が何度もよこした「会いたい」という遣いに対しても、逃げ通している。
ところが和泉式部は、新しい恋に身を焼きながら、前夫にも、何かにつけて、道貞礼賛の歌を贈っている。それはなぜか。前夫の非情さを知ったうえでの、保身だったのではないかだろうか。
当時の貴族の男は、いわれのない特権を当然のこととして育った。そのため、いったん誇りを傷つけられたら最後、決して相手を許さない。宮仕えの式部は、そのことをいやというほど知っていたはずである。
未婚のころも、いろいろと浮名を流した彼女だが、驚くことに、誰からも恨まれていない。いや、心の中はともかく、男達のだれひとりとして、ふられた後、彼女を悪く言うものもなく、報復めいたこともしていない。これは非常に珍しいケースである。
その秘密は、彼女が、男の自尊心や嫉妬というものをゆめゆめ手荒に扱ってはならないということを、ちゃんとわきまえていたことにあるような気がする。
式部は、それまでの相手にも、同じように、歌を送ってアフターサービスをしている。自分のほうが愛想をつかしていても、「あなたを失ってしまった哀れな私」を一貫して演じ通した。そのことが、たとえ体裁のうえだけでも、相手を“ふられ男”の惨めさからは救っている。
おまけに、
「煮え湯を飲まされたけれど、そうか、そうか、俺のことを忘れられないか。やっぱり俺だけは、特別な男なんだなあいつにも、これこれ、こんないいところがあった。かわいい奴だったなあ」
そんな思いが、去っていった女を美化し、腹立たしさやくやしさをなだめてくれるのだろう。この女、なかなかの苦労人だなと、あらためて感心してしまう。
かと思うと、恋人の姿を見つけて、牛車から飛び出し、人目もかまわず、履物を飛ばして駆け寄るようなこともする。そんな時の式部は、あきれるほど子供っぽい。

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