| ISBN978-4-88978-078-9 | 俳人でもあった父、緒方準一(俳号、氷果)の句に「一門のことごとくが医洪庵忌」というのがある。私の家では、毎年六月十日の洪庵の命日に、墓のある大阪・天満の龍海寺で親族が集まって法事を営むことになっているのだが、父はいつの年かこの日の感懐を詠んだのであろう。たしかに集まってくる親戚の男たちはほとんどが医者である。句には、緒方家の医を起こした曾祖父洪庵への畏敬の念と、直系の曾孫として自分もまたその役目を果たすことができているという満足感と、誇らしい気分が込められているように思う。 父の句にもう一つ「五代目も医学士となり洪庵忌」がある。五代目とは私のことで、私が曲折を経ながらも医師になり得たことで、安堵した父の気持ちが素直に吐露されているように思う。 小さいころから手のつけられない腕白坊主。戦争さなかの昭和十八年、飛行機乗りに憧れて飛行隊を志願したが、当時の天王寺中学の恩師に一喝されて目が覚め、ようやく医の道を志した。しかし、慈恵医大時代は戦中戦後の激変時にあり勉学もままならなかった。父の心配はひとかたならぬものがあったであろうことは想像に難くない。 私が自分のことを書くのは最初で最後のことであろうと思ったので、この際は、これまであまり振り返ってみることのなかった先祖のことについても書いてみようと思い立ち、先人の著作や研究を調べてみた。私が知らなかった多くのことが今回初めて分かり、それはうれしくもあり楽しい作業だった。 洪庵については、私の叔父の緒方富雄に『緒方洪庵伝』はじめ多くの著述があり、親族として洪庵に関して最も研究を深めた人であることから、その多くを参考にさせてもらった。 曾祖父惟準と祖父銈次郎に関しては、銈次郎に『七十年の生涯を顧みて』があり、惟準を含めた係累の克明な記録となっているので、これを引用しながら二人の事績と人生の一端を書いた。明治初年から戦前までのわが国医学界の人間模様をさぐる上で、多くの示唆が得られたと思っている。 父の準一については、私の記憶するかぎりの思い出と事績を記すとともに、俳人として残した自選の「氷果句集」の中から洪庵に関した句や覚書などを再録した。少しでも父の風韻を知っていただきたいためである。 私は子どもを授からなかったので緒方の直系は五代で終わることになる。これも天のはからいであると思っている。直接伝える者がいないので、つたない文をつづって、私の知るかぎりの緒方家五代を残したいと思ったのである。気楽に読んでいただければ幸いである。 |
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| 緒方 惟之著 四六判 232頁 定価(本体1600円+税) |
| 主な目次 | |
第1章 初代・洪庵 一 医の源流 二 適塾 第2章二代・惟準 阪大の前身と緒方病院を創立 第3章 三代・銈次郎 一 医の道への転向 二 渡欧 三 緒方病院の隆盛と解散 第4章 四代・準一 一 奈良県立医大を創設 二 俳人氷果 第5章 叔父安雄と富雄 一 臨床医の血(東宮のお医者さん) 二 医学者の血(血清学者富雄) 第6章 緒方家五代目に生まれて 一 幼いころの思い出 二 天王寺中学のころ 三 医師の道へ(戦争の中で) 四 慈恵医大のころ(戦後の歩み) 五 勤務医時代 第7章 整形外科と心 付録 一 扶氏医戒之略 二 洪庵の旅日記 三 除痘館記録 四 「福翁自伝」から 五 司馬遼太郎の洪庵像 |