もっとも大阪らしい町
大阪堀江今昔
―堀江三十三橋 橋づくし―
ISBN4-88978-030-0  川と堀に囲まれた愛すべき町堀江。元禄時代から連綿と続く若者の魂が、その精神を受け継ぎ、時代を先取りし、浪速の地に商売、文化、芸能、スポーツなどの花を咲かせてきた堀江。三百年の時を越え、時代に合わせて形を変え、したたかに生き続けてきた堀江の歴史を辿る。
 まえがき

東京渋谷・恵比寿(えびす)と対抗し、若者のファッションとグルメの先端を行く大阪・堀江。
 アメリカ村から四ツ橋筋を越えた一角に、今まさに、新しいトレンドが生まれようとしています。
 それは元禄の時代、封建制度の枠をぶち破って爆発した大阪町人の活力が、今、三百年の時空を超えて、二十一世紀の中で形を変えて、蓄積されたエネルギーを放出し始めた感があります。
 そこには、人の世の喜怒(きど)哀楽(あいらく)だけではなく、また、目先の利潤を追う姑息な商人には似つかわしくない、文化・芸能、学術、経済などの多岐にわたる果敢な挑戦がありました。遊郭(ゆうかく)という隠微(いんび)な世界とは無縁な、だからこそ自然への畏敬と敬慕に似た真摯(しんし)な取り組みもありました。
 大胆かつ柔軟に生き抜いてきた堀江の姿は、大阪の縮図でもあり自由奔放に活路を求めて、未来へ立ち向かおうとする若者に、力強い味方となるに違いありません。
 堀江に在住すること三十六年、その成り立ちと経緯(けいい)を、限りない愛着と執念で訪ね歩きました。
水知 悠之介著
四六判200頁
定価(1500円+税)

堀江いまむかし
堀江のあらまし
まずは四ツ橋から
新町『へのか』を走り抜け

堀江三十三橋
・・・橋づくし
*一の橋・吉野屋橋(よしのやばし)
・・・四ツ橋の煙管屋(きせるや)
*二の橋・西長堀橋(にしながほりばし)
・・・材木浜と薪炭(しんたん)問屋(どんや)
*三の橋・宇和島橋(うわじまばし)
・・・橋を渡れば、そこは市の側芝居小屋
*四の橋・富田屋橋(とんだやばし)
・・・橋上で天体観測する間長涯(はざまちょうがい)
*五の橋・問屋橋 (といやばし)
・・・・堀江六人斬りと大石順教尼
*六の橋・白髪橋 (しらがばし)
・・・・阿弥陀池を取り囲む遊郭の街
*七の橋・鰹座橋 (かつおざばし)
・・・大財閥三菱商事発祥の地
*八の橋・玉造橋 (たまつくりばし)
・・・土佐稲荷にからむ怨念(おんねん)
*九の橋・高橋  (たかばし )
・・・肥船(こえぶね)とガタロも行き来する川筋
*十の橋・州崎橋 (すざきばし )
・・・松島遊郭の横車と馬の田原坂
*十一の橋・下繋橋(しもつなぎばし)
・・・公設市場と卸売り市場
*十二の橋・御池橋(みいけばし )
・・・かき船で味わう水の情緒 
*十三の橋・清水橋(しみずばし )
・・・掛け替えた筋違い橋と三角公園
*十四の橋・雪踏橋(せったばし  )
・・・消えた雪踏(せった)の供養に「夕霧と小梶」
*十五の橋・木綿橋(もめんばし  )
・・・木綿と藍(あい)とふとんまで
*十六の橋・金屋橋(かなやばし  )
・・・銅(どう)吹き屋(ぶきや)と住友と幻の府会議事堂
*十七の橋・堀江橋 (ほりえばし )
・・・堀江誕生と大阪奉行所(ぶぎょうしょ)
*十八の橋・浪速江橋(なにわえばし)
・・・平成の堀江誕生と戦後の都市計画
*十九の橋 ・隆平橋 (りゅうへいばし)
・・・太棹(ふとざお)の義太夫節(ぎだゆうぶし)のメッカ
*二十の橋 ・賑江橋 (しんえばし )
・・・堀江遊郭、寄場(よせば)と演舞場
*二十一の橋・高台橋(たかきやばし)
・・・堀江大尽・砂糖の赤裏、おまけにグリコ
*二十二の橋・阪栄橋(はんえいばし)
・・・立花通りに林立する道具屋
*二十三の橋・瓶橋 (かめばし )
・・・木村蒹葭堂(けんかどう)ここにあり
*二十四の橋・黒金橋(くろがねばし)
・・・ピンショウ船、出動す。
*二十五の橋・水分橋(みずわけばし)
・・・木津川に開く海運業者の街
*二十六の橋・深里橋(ふかりばし)
・・・人力車夫、巡航船を襲撃する
*二十七の橋・住吉橋(すみよしばし)
・・・御輿(みこし)渡御列(とぎょれつ)と御旅所(おたびしょ)
*二十八の橋・幸橋 (さいわいばし)
・・・大阪相撲の発祥と終焉(しゅうえん)
*二十九の橋・幸西橋(こうざいばし)
・・・紀州藩蔵屋敷と高台(たかきや)小学校
*三十 の橋・汐見橋(しおみばし )
・・・「パンヤの食堂」と「マルキのパン屋」
*三十一の橋・日吉橋(ひよしばし )
・・・水野越前、太鼓屋(たいこや)(遊郭)を作る
*三十二の橋・千代崎橋(ちよざきばし)
・・・新町・堀江・松島のトライアングル
*三十三の橋・大正橋 (たいしょうばし)
・・・おまけの一橋、安政津波の碑(ひ)